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陰陽哲学

2014-11-15

[序論]

この世の万物万象は相異なる陰陽の二種の形質及び作用から成り立っている。生物や素粒子が雌雄(+ −)の両儀に分かれる様に、一つと思える地球のような球形物質でも、あるいは一連の運動と思える円運動の様な運動でも、良く見るとそれらは相異なる二種の要素及び二種の行程に分割する事が可能である。上下・左右・高低・表裏・前後・長短・大小・単複・明暗・生死など宇宙の森羅万象が見せるあらゆる物の所作も陰陽の両儀に分かれ、二元的もしくは二極的な相異を示す。これらの陰陽差には特殊な係りが存在し、両者の間には宇宙の普遍なる原理法則が存在する。

古代中国ではこの様な陰陽の差異に注目し陰陽哲学が誕生したが、その未完成な原始哲学に仏法哲理を導入し新しい解釈を加えて体系化したものが生命論の陰陽哲理である。この生命論の根幹を成す陰陽哲理こそ宇宙の本源原理(二元法理)に他ならない。この世の全物質は例外なく“陰(形質)”と“陽(本質)”の合体(陰陽混合)によって成り立っており、また全事象はあまねく“陰(前母体:作用)”から“陽(後子体:反作用)”へと向かって一方的に転じて行く特定の方向性を示す。

この様な物体及び生命(運動)の二元的な要素を“陰陽”と言う用語に象徴して、宇宙の普遍原理をコンパクトに表現したのが陰陽原理(陰陽法則)であり、またその陰陽法を駆使した哲学を陰陽哲学と称している。もちろん数理原理もこの陰陽原理に包含されるものであって、あらゆる物理原理もこの普遍原理に従う。この宇宙にはそれ以上の原理は存在せず、またそれ以外の原理も存在しない。この陰陽原理こそ唯一無二の本源原理に他ならない。当然、この原理法に反する一切の事象は起こらず、これに背理する数理原理は全て間違いと言える。

1) [陰陽の定義]

①形質(陰)と本質(陽)

陰とは陽を生み出す為の基礎母体の意味であり、物事の完了や完成の為の“前段階的”な手段を現す要素である。それに対して、陽とは陰から誕生する子体の意味であり、また陰の存在によって具現する物の本質(生命)の意味であって、物事の“後段階的”な完了や完成を現す要素である。物事の意義や価値は常に後半の陽にあって、陰とは陽を生む為の手段に過ぎない。重要な認識は、まず始めに陰の存在が無ければ物事の本質その本懐である陽が誕生しない事である。

物事には必ずその存在意味が有って、自然は何の目的も無く事物を創造しないし、また人間も用途があるからこそ物を創造している。その存在目的を奏でるのが陽であり、その本命である陽を産む為の手段が陰である。例えば、家という建築物の本質は雨露を防ぐ為の“屋根(陽)”に在って、屋根が無ければ家とは呼べない。しかし屋根を乗せる為には最初に基礎土台(陰)を構築する必要がある。家は屋根から先に造れないのである。


それと同様に、車(自動車や自転車)の本質とは速度を産み出す“車輪(タイヤ)”に在って、そのボディやエンジンに意味がある訳ではない。高性能のF1エンジンを搭載した所で、タイヤが無ければ何の意味もなく車と呼ぶ事は出来ない。しかし、その肝心のタイヤ(陽)はボディ(陰)が無ければ装着できないのである。タイヤは屋根と同じで最後の段階でなければ取り付ける事が出来ない。

同様に、コップ(器)の本質とはどこに存在するのだろうか?それはコップの底なのだろうか、それとも飲み口なのだろうか?そもそも口が閉じていれば器とは言えないのであり、底だけではコップの用事(中身を飲む)は果たせないものである。つまり飲み口が陽であり、陰の基底部に当たるのが底である。その証拠にコップの創作行程では一番最後の段階に取り付けられるのが飲み口であって、残念ながら器は底からしか造れないのである。本質の陽は必ず最後に取り付けられると定められている。

人の人生の意義は子供から大人に成長する行程(生道行程=成長行程)に意味が在る訳ではない。大人として完成した後の行程(退道行程=分解行程)に意味が存在し、本質の価値は常に後半の陽の段階に在る。しかし、始めに成長しなければいきなり大人には成れないのであって、陰の行程が本命の陽の行程を生み出している事実に変わりは無い。それは「親(陰)が無ければ子(陽)は出来ぬ」の“例え”であり、物事は必ず陰から始まりそして最後に本命の陽が出現して一区節を終える“物の原理”と言えよう。

一本のマッチ棒や耳掻き棒を見て、その用事を果たせる“陽の部分”は一体どこに在るのだろうか?マッチ棒がマッチとしての役割を果たす部分はその“柄(え)”に存在する訳ではない。柄とは陰の基礎土台であり、その先端部に陽の細工を施している。陰の柄には何の意味も無いが、しかし陰が無ければ、陽はその機能を発揮できない。腕(陰)と指(陽),電話機(陰)と受話器(陽),テレビ(陰)とブラウン管(陽)の様に、物事の本質を奏でる“陽”とそれを産みだす為の“陰”、この世の万物万象は全てその係りで成り立っている。

何度も繰り返して述べるが、陰陽の認識に於いて最も重要な事は、物事が必ず陰の形質と陽の本質に別れる事であり、また常に陰(手段)が先行すると言う事実であって、陽(目的)とは一番最後の段階に出現する(達成される)ものか、もしくは一番最後に取り付けられるものであると言う認識である。その陽が出現して始めて物事は完了し、その本懐を成すと言う絶対的な事実は万物万象に共通する原理に他ならない。それは人間成長ばかりではなく生物進化も宇宙進化もあるいは心の成長も文明の発展も皆同じである。
(つづく)

著作:未来地球研究所(無断転載を禁じます)
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